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モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

石巻と一緒に僕ができる事ってなんだろうか (長文)

life

二ヶ月を挟んだのち、ようやく先月被災地を支援する活動に復帰する事ができた。


場所は石巻津波の被害、自身の被害がとてつもなく、
震災後は地盤沈下で約30センチも沈んでしまった部分がある場所。

宮城出身の友人がいて、ルカっていうちょー見た目白人のやつなんだけど。
親がずっと宮城に住んでいて、震災時も連絡が取れない状態が続いたから、
彼が震災二日後ぐらいに車で自分で乗り込んで。
親の無事を確認したあとは、そこからずっと物資の支援とかして手伝っていた。

そして、物資や避難所がしっかりしてきた後は瓦礫の撤去とか、
ヘドロの除去とかを手伝っている。

3月11日以降やってきたことは、

  1. CNNの現地取材に先輩に呼ばれ同行
  2. 帰京後、福島から避難してきた人に取材、そして官邸と東電の取材に釘付けの日々
  3. 福島県南相馬市に物資を届けに
  4. 反原発デモに参加、東電前と高円寺(そういや、この事については書いてないね)
  5. 福島県いわき市のMUSUBUプロジェクトのデザイン
  6. 石巻への瓦礫撤去などの手伝い

イマココ。


で、そのルカたちと一緒に彼らの拠点である
石巻市を手伝っているのが今の現状。

偶然にも、1neの撮影でいつもお世話になってるさとしくんや、
カメラマンの藤巻くんがいったところも石巻で、なんか勝手に絆を感じてたりして。。笑


で、計二回今の所行きまして
これからもできることやっていきたいんですけど、
今までわかった事とかまとめていければなと。
自分のなかでの整理も含めて。

一回目、五月二十一日:

金曜の夜中、東白川駅で待ち合わせ。
半年ぶりくらいにDavyと会う。
彼がやってるお店のパーティー以来。

もう一人パーティーに時にあった事の会ったおばたさんの
車に乗って夜の東北道を北上しました。

みんな仕事終わりに合流。疲れてるのにご苦労様です。
保険さえ条件見たしていれば俺も全然運転したんですが。。

そしてドライブ中 は助手席に座っている
Davyが中心となって会話が進む。

震災の時どこにいたのか、とか、
まぁ最近はじめて会う人とよくする話題。。
しかも、Davyたちの周りって
初めて会った人達でも結構オープントークで話せる。

それもあってか結構深いい話になった。

命の話とか、人生の価値とか、
何年か前だったら、夜な夜な友達と話したようなこと。

でも、最近は全然誰ともそんなこと話してなかった。

そういう話をする時に出てくる、
変なアドレナリンを感じつつ会話がつづく。

途中で休憩を挟みながら、夜中過ぎに仙台に着く。
CNNと一緒に入った時以来だから約二ヶ月ぶり。

そして、次の日の土曜日の夕方にCNNにいって即空港に。
目的地は仙台市内。

地震と津波と原発と、僕と3.11(長文) - モンスターボール100個

夜だからハッキリとはわからなかったんだけど、
本当に復興のはやさにビックリした。

僕が後ろで鳴り響くサイレンに怯えながら逃げて走ったあの道路も
当時は車やヘドロで覆われていたのにすっかり綺麗になっていた。

そしてそこから仙台の港近辺で働いていた人達がよく通勤ために使っていたあの国道もちゃんと見ないとそこだとわからないぐらい変わっていた。メインの道路、あの時は横たわっているタンカーや、瓦礫の状況で場所を把握していたから。。なんか変な覚え方だけど。

そこから、石巻まで2時間くらいだったかな。
途中で暴走してる4tトラックに無茶なカーブでの三台追い越しされて死ぬかと思ったけど、無事到着。大体夜中の3時くらい。

お世話になってる宮本さん家族が持っていた
丘の上にある家にとまらせてもらう。

ひたすら寝て、朝8時くらいに起床。


朝起きたら、ルカ達が宮本さんから頂いた朝ごはんと
パンを持ってきてくれて、それで朝飯。


食べ終わった頃に、隣の家のおばちゃんが
屋根の上においた瓦屋根が飛ばないようにかけたビニールと、
石が落ちちゃったんで直してくれないかと声をかけてきてくれたので、そこを手伝う。

屋根とか久しぶりに登ったわ。
高所恐怖症だった事を思い出した。笑

そこはみんなで(計5人)でやったのですぐ終わった。

そして、宮本さんに軽く挨拶をし、
地元で色々と手伝う場所を探して紹介してくれる
しゅんさんの所へ。


まだ、爪痕はかなりきつく残ってる。。

ここでルカのお父さんと合流。
なんとニュージーで出会った仲の良い
けいさんを知っていてビックリした。
自分達は連絡先を知っていなかったので、
無事をちゃんと確認できて安心。
不思議な所で繋がりがあるもんです、ほんと。

そこから近所の用水路(まぁドブです)のヘドロ除去を。


これがすごい。水が溜まったまんまだから思いし、
用水路の形を作ってたコンクリも壊れて落ちてたりして
すごい苦戦しました。。

もう、日々マウスぐらいしか持ち上げていない俺は
三十分くらいで体全身プルプルで、なんかの禁断症状かと
思いましたよ。。。

ルカのお父さんの方が全然力があって、、参りましたよ。
昔プロレスラーで、今宣教師なんですって。
その履歴書みたら驚くだろうな。笑

そんなこんなで午前中ずっと掛かっちゃって、
ようやくできまして。

そのあとは、ルカ達が別の所で作業していたのでそこに合流しに。
そしてそこでも、ドブ綺麗にして、、。
ドブ綺麗ってなんかキャッチーな言葉だなぁ。。。

ま、いいやそんなこと。

そして、その後以前ルカ達がお世話になっていた
阿部さんという方のお家に夕食を招かれて。

カツオとか、美味しい漬物などたくさん頂きながら
阿部さんと色々な話を。

本当に良くしてくれて、喜んでくれて、
なんか今までの俺がやってきた事とは違う感覚を感じた。

阿部さんがぽろっと
「ここが落ちつくって言ってくれる人がいるから、
俺はここに戻ってこようって心に決めたんだ。」

「家族親戚や、ルカやノアが言ってくれるから、水に本当にやられてダメになるまで、非難命令が出るまではやっぱりここに戻ってこようって。」
て言ったのが自分のなかに染みるようにはいってきて
まだ残ってる。

多分、こういう事がまたこれから進んでいく後押しになるんだろうなって。それは逆に言われた僕らも、すごい勇気づけられる。


そこで、楽しい時間を過ごしたあと
しゅんさんの友達のこうちゃん一家にお世話になる事になって
そこでも美味しい手料理を食べさせて頂き、
みんなですごい話が盛り上がって楽しい時間を過ごせた。
そこで改めて気づいたのは、奥さんや、子供って、すごい、すごい希望なんだなぁと。

僕はそういう人が見つかっていないので
実感することはできないんだけど、
以前、福島から避難してきた家族に埼玉スーパーアリーナで話を聞いた時も、

でも子供達がいて、子供達が元気だから、それだけでも救いだと。
「この子、おれとそっくりだろ?」って子供を抱っこしていた。

福島から - モンスターボール100個

子供達が元気だから自分が落ち込んでるわけにはいかないってお父さんが言っていて。
お母さんの姿は見えなかったんだけど、
子供のそのエネルギーってのは本当に生きる力になるんだなぁと思った。

子供って、どこでも純粋に笑って、騒いで。

石巻でも、子供や学生と会う時逆に
エネルギーに圧倒させられるもんね。
みんな、絶対強く優しく育つと思う。

その晩はDavyのいびきがうるさすぎて
イヤホンして寝たんだけど、、笑
疲れてるからなのか、毎日なのか。。

次の日は、
河川敷にの歩道部分に流れ着いた瓦礫などの片付け。
その時は石巻高校の漕艇部の子達と、地元の方々と
一緒に作業。

しゅんたと、しゅうへいとちょっと話して
周りの女子には日本語しゃべる外人がいるからチヤホヤされて、
俄然やる気が出ましたよっと。笑



でも、その高校生のパワーにもビックリ。
みんなすごいね!
片付いた後、部で使っているトレーニングの機械で
うちら四人で競争したんだけど、しゅんたのレベルもだせなかったよ。

すごいトレーニングしてるんだなぁと、関心。
本当なら全国大会にいく予定だったとか。。。
みんないろんな気持ちがミックスして複雑。。。

結局、四人で競ったのはDavyがビリで、
ルカの靴下を舐めるっていう罰ゲームで終了。笑

その後は近くの定食屋さんに
みんなでご飯を食べに行って。
すごい美味しい天丼頂いて、
その後みんなキュウリ串残すから五、六本食った。

みんなと別れた後、最後に宮本さんの家にもどる。
ちょうど自衛隊が来てずっと住んでいて、工場もあった
本家を取り壊していた。

ずっと長い間生活して、そこで今まで生きてきた場所が
なくなってしまう。

どんな感情も当てはまらなくて、、なんか。。
なんの言葉にもならない。。。。


その宮本さんのお父さんが、
最後に自分たちの倉庫で保存していたサバを
運ぶのを手伝ってくれといわれたので倉庫へむかう。

そこには何万匹っているとは思われる量のサバが。。
これも水産業を営む人たちにとっては財産。
これが、すべて駄目になってくるだろうから、
周りの人にあげるのだそうだ。

100箱程おろしたあと、お父さんが是非もっていけというので、僕らも一箱頂いた。
(帰って、箱あけたら40匹ぐらいぎっしりだったのでびっくり。笑)

そのあと、僕らは宮本さんのうちを後にして帰路につきました。


この一回目で思ったのは、
人とのふれあいが密なサポートは、
ただモノを送ったり、事を伝えたりするのとは
まったく違うニーズや体験があるんだという事。

被災した地域の方々に必要だったサポートは
人命救助→救援物資→瓦礫撤去とあるように見えるけど、

この最初から、最後まで必要なのは、その人たち自身
一人一人と友達になり、話を聞き、一緒に過ごしていくなかで
出来る事をしていく事だろうと思った。


2日目の事も追々書こうと思うが、
もう少し時間が必要なので今日はここらへんで。



僕が出来る事は限られていて、
でもかなりシンプルだったりする。

行って、手を貸す。

それをする。