モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

"あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない” は、僕達をあの頃に連れていってくれました。


過ぎ去った全ての記憶に、もう一度会わせてくれた。早い夏の贈り物。


携帯を小学生が持つ事が普通になる少し前、
目に見えない人たちとゲームで遊ぶ事が当たり前になる少し前、

僕たちは、子供でした。

そして、裏の山や林、空き地や公園、
神社に集まって遊んだあの日。
突如現れたポケットに入るモンスターでみんな遊んだり。

全て無垢で、今を生きる“自分”で溢れていた、あの頃。

僕が今期で、いや、ここ3、4年のアニメで一番心の隅々まで染みわたったアニメは
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」あの花)です。このアニメ、本当に見れてよかったです。ダントツで、ぶっちぎりで一位のアニメです。

あの花」は、みんなの「あの頃」の話です。
自分たちの個性が、元気に外に溢れ出す小学生の時、僕らは無邪気にあそぶものです。
そしてその中で、人と人の関係のことを少しずつ、少しずつ勉強していきます。

このアニメの主人公じんたんもそう。仲の良かった友達との中でいつも遊び、したわれるような存在でもあった。それがある事をきっかけにみんなとの関係が薄れていく。だんだんと離れて行く距離、そして変わっていき、成長していき、なぜかみんなすかした顔をし始める。急に「周りと今の自分はもう違うんだ。」と思ったり、自分の事を理解してもらえる人を探すのに苦労するあまり、周りを突き放したり。高校デビューしたり。または全てが嫌になって家にずっといたり。変わった自分を見せつけてみたかったり。思春期とはそういうモノです。人の本質にあるジレンマを“体験”して学んで行きます。教科書に一番触れている年頃ですが、一番体当たりで学んで行く年頃でもあるんですね。

僕たちは、一番大切なものをもってこの世に生まれてくるという事

あの花」は、忘れてしまったものをまた取り戻す、その過程が描かれたアニメです。

先ほど書いたように、一人一人が体当たりで色んな事を経験し、変わって行く中でお互いの違いが見えてきて、壁が出来始め、いつのまにか言葉すらかわさなくなってしまう。今の僕達にも何人かそういう人はいるのではないでしょうか?僕にもいます。でもね、そんな事関係ないんじゃないですか?その子に話しかけるのに、何のためらいがいるんですか?その子のそばにいようとするのに何のためらいがいるんですか?その子を好きな気持ちを伝えるのになんのためらいがいるんですか?何があっても、やっぱり周りにいる友達が大切で、好きで好きでしょうがない。仲良くしたい。もっと一緒にいたい。そういった純粋な気持ちでいっぱいなんです。でもね、どうでしょう?学校がかわるからでしょうか?年齢がかわるからでしょうか?不思議なもので、その思いを、いつのまにか自分の心にしまっておくようになってしまった。誰にも本当のきもちをいわなくなってしまった。その子の名前や、仲良くなってつけたピュアな“あだ名”ではなくて(その無垢さが“あなる”に象徴されていますね。)、名字で呼ぶようになってしまった。

その、“気持ち”どこでわすれたんでしょうか?

遅すぎるということはない、ただ思い出せるかどうか

そこに、「めんま」があらわれます。このアニメのヒロインです。
彼女がじんたんとした約束をかなえて欲しいと。

それはいったいなんだったんでしょうか?

約束は最終的に「ある形」でわかることになりますが。このめんまの問いかけの「本質」はその約束自体にはありません。その本質は、めんまもきづいていなかったのかもしれません。だけどハッキリとその問いかけが自分達に影響していきます。自分達を変えていきます。最初には、振り向く価値もないと無視していた事にも、違和感を覚え、そしてそれが何なのか自問自答し始める。腑に落ちていない、心にあいた穴はなんなのか。。。。家庭?友達?学校?部活?バイト?色んな所からひっぱりだしますがなかなか見えてこない。


僕が思うに、その人そのひとにつくの心のかたちというのは「幼いころ」ですべてきまります。

ですから、「あれ、いつのまに自分のこんなところがへこんでた。」とか
「こぶになっていた。」とか「きずあとがある。」なんて事があるわけです。

そこに気づいて、それがどうしてなのか?というのを知るという事はとっても大切な事だったりします。
んじゃあ、じんたんたちはなぜ傷つき、悲しみ、何をわすれてしまっていたのでしょうか?

僕はこう思います。
それは「忘れていた本当の自分たち」なのではないでしょうか?

その無垢で、でこぼこなかたちをしているあの頃の自分達を、どこかに置いてくる事で忘れようとしていたのではないでしょうか?

実は僕は、3月11日の後、New Zealandにいた頃の一人の友達にあやまりました。

きっかけはたまたまFacebookで彼が話しかけてきたからなのですが、僕がニュージーランドにいったばかりの頃、仲良くしてくれた友達に、あることをきっかけにムカついて、意地悪して、その子と微妙な関係になっていました。その彼は今では学校も終えてクライストチャーチに住んでいました。

地震をなんとか切り抜けていました。

僕はその時、ふっと思い出して、そしていつ消えてしまうかもしれない自分と友達の命の儚さが怖くなりました。今、言えなかったら。。。と思い、彼に謝りました。「あの時は、ひどい態度で君に接してしまってゴメン。」と。そしたら彼は"Don't worry about it. Let the past be the past"「昔の事は昔の事にしようよ。」っていって許してくれました。ま、この場合彼は「昔の事」でよかったようですが。。苦笑

でもその時、僕はあの頃の自分をやっと今の僕につれて来れた気がしました。

もどかしいかもしれないけど、次彼とあったら、
また仲良かった頃見たいに話せるんじゃないかと思います。

だって、その頃の自分と、今はいっしょだから。

ぜひ、あの頃の自分達に会いにいってあげてください

このアニメをうまく例えようなどとすれば、アニメ版 Stand by meだの、なんだのっていっちゃうかもしれません。でも、そんな他の作品に例えるのはもったいない。「あの花」は間違いなく僕らの「あの花」だし、あのZONEのED、歌詞とかぶるストーリー、ガリガリ君、、、ポケモン、、僕らの世代ど真ん中に作り込まれたこれほどまでの世界感のアニメは(色々あげていきたいけどネタバレになるのでやりませんが。。)これ以上もこれ以下も、前にも後にも出てこないでしょう。

だから、どうかこの作品をみて「めんま」に会いにいってください。
そりゃぁ僕のあの頃にも、めんまのような天使はそばには居なかったし、
嫉妬される程モテてもいませんでしたよ。
だって、卒業式にこくって、付き合ったと思ったら次の日に....sfhalsfh

んな事はどうでもいいんですよっ!


めんまやじんたんたちが見せてくれる、あの花の“名前”。


それはきっと自分しかしらないはずですから。


その“花”に、もう一度会いにいきましょう。