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モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

前のレポうp:ソーシャルメディア時代の「ジャーナリスト」とは誰か

結構前に慶応大学日吉キャンパスにきていた藤代さんの講演を聞きにいきました。
その時のメモをアップ。乱雑ですがご勘弁を。

ジャーナリストとは誰なのか?

*テクノロジーを知らないと今ジャーナリストをやるのは難しい

地方新聞の仕事:
マスメディアは明らかに中高年メディアになってきている。
読者投稿欄はほとんど70歳。
字もおっきくなった=新聞の中身が薄くなる、情報量が減るから

自分が置かれている環境はわかっている。 =ので、ホームページをつくるところから始まった。

仮説と検証が大切。

仮説=若い人はインターネットを使っているに違いない
検証=パケット代がもったいないからメールぐらいしか使っていない
結論=取材不足、検証もせずホームページを作ってしまった。若者はインターネットはしていなかった。

ソーシャルメディアの発達

多くの情報を伝えるということは、マスメディアがやってきた。
偉大な存在だった=だからバッシングを受けてきた。しょぼかったらそんなこともされない。

情報の爆発が起きている

選択可能の情報量と消費できる情報量の幅が広がっている。
(ソース:情報流通センサス報告書)

受け取る側は情報を無意識にカットしている。

届ける側からしてみたら、もぅ投げたものがゴミみたいに扱われている状態

みんなが受け取っている、見ているはずだという前提のまま進んでいる。
既報主義=官邸デモがあれば、2日後にはそのことは報じない。
(それが”マスメディアは報じていない”という偏見、マスヘイトにつながる)

東日本大震災ソーシャルメディア

記録:ユーザー自身による被害状況の記録、動画や写真
情報発信:被災地のユーザーにより呼びかけ。岩手県など公共機関、報道機関の発信ツールとして
連絡/安否確認:Googleパーソンファインダーによる安否確認、mixiのメッセージやログイン、twitterのDM
支援活動:Amazonほしいものリスト、キャンペーン(ヤシマ作戦、ウエシマ作戦)、義援金(ポイントやオークション)

現場の様子がYoutube
記者は南三陸などに配置されていたのか、ということ。
その人たちが津波に直面しているかというと、一般人の方が可能性は多いのは当たり前。
もっとも現場に近かったのは一般人、またはそこの人たち。

消防団のビデオ:
*なぜ、のんびりしていたのか。一種の興奮状態にあった。
(人間の心理状態のリアリティをみせられている)これは珍しいことではない。
*これの賛否は別として、後でそれを記者が消防隊に取材したとして、これ以上の映像のすごさはだせない。

今の日常での出来事を発信するのと、消防隊員とどう違うのか?

国や自治体が直接ツイッター発信
地震発生直後に個人携帯電話から発信、市町村ごとに避難状況を配信。報道されない地域を網羅。
フォロワー数2,498(2011/3)から38,000(2012/4)
国や地方自治体、公共機関のtwitter

マスメディアがいなくなったら

南相馬桜井市長はYoutubeで直接支援をつのった

ジャーナリストも選択があった
*撮るか、逃げるか。取材するか、逃げるか。

記者会見の生中継
*生中継の会見が普通になった
*取材のプロセスが明らかになった

マスメディアとソーシャルメディア
NHK「かぶん」ブログ
Google person finder
震災後、ソーシャルメディアのアダプトがすごい増えた

少し考えてみたいこと

*記録や現場からの情報発信は、従来マスメディアの役割ではなかったのか?
携帯電話、スマートフォンの普及=誰もが撮影
ソーシャルメディアの利用=誰もが情報発信
グローバルに発信(英語の説明もボランティアが)

マスメディアの役割は?自分たち(発信者)の役割は?

官邸前デモ
ジャーナリズムとは記述主義(あのとき、自分はここにいて、そして何を思ったのか)
それを刻めるわけです。
ただ刻むだけではなく、自分たちのリテラシーを確かめるところにいよう。

複合的に事象を検証して、組み立てていくスキルが必要になってくると思う

climers-high
ジャンボ墜落事故の話
自分の部下が現場を見て、壊れる。
お前は現場を見てないのに!「俺は見たんだ!」しかし、見たものが半径5メートルでしかないものだということもある。

ジャーナリストは誰なのか?

私たち自身が新しいメディア・ジャーナリズムの実践者
(発信者の責任とリテラシー