モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

さよなら The only 1ne

f:id:hish_1ne:20121219231224j:plain

いきなりごめんなさい。


今年をもって、僕が長く続けてきていた
The only 1neでの活動は終わりになります。


今、今日、この時の
僕の環境というものの多くは
The only 1neの活動を通して与えられたもので、
もしやっていなかったら出会えなかった、
あるいはここまで親密な関係にならなかったと思える人が沢山居る。


1neの活動を通して、自分のデザインのスキルも磨く事ができたし、
そこでの作品を通して評価されたことも少なくない。


先日も、久しぶりにあったカメラマンの方に
「最近は1neはどうなの?」って聞かれて、


みんな1neを通して僕の事も覚えてくれて、
これだけ浸透しはじめていて、
こうやって会話を広げられる、
機会を広げられるって嬉しいなあって思った。


自分の活動を通して、
仲間の活動を応援できたこともあった。
そしてそこからさらに他の人を繋げて。
とっても嬉しいことだった。


商品を作って、売るというノウハウも
荒削りの体当たりな感じでではあるけど
学ぶ事ができた。






でも、何度も考えたけど。





1neの活動は今年でおわりにします。




今まで、お世話になった方々、
一緒に頑張ってくれた仲間。

本当にありがとうございました。



この1度きりの人生で、
自分の想いを出し切るために走ろうとしていた
独りよがりな自分をあたたかい目で見守ってもらって
本当に幸せです。





自分の心の中の整理したいから、
これから最近思っていた事(1年半くらいかな)を書きます。



長文になるので面倒な方はここで
閉じちゃって大丈夫です。






答えをだすことの儚さに躊躇してしまった。

僕はずっと
「ポジティブなメッセージを通して、
みんなが一つになれるきっかけづくりを。」
をコンセプトに活動してきました。

みんながそれぞれの個性を認めながら、
お互いを愛し合って生きいくことの素晴らしさを
伝えられるようなメッセージを発信できたら。


そう思っていました。


でも、自分たちを認めるということは、
自分たちの嫌な所も認めなきゃいけません。
醜い所、嫌いな所、不完全な所。



それは自分たちとの矛盾との戦いです。


ストレートにいうと、どれだけ
互いを認めあって生きていこうとしても、
「自分たちは1つなれない」
という矛盾との戦いです。


僕はそこに向かって前のめりで進んでいく中で、
出会える「気づき」があると思っていたし、
だからこそ、目標を提示できる活動を
していくことが良い事だとおもっていました。


でも、僕らが本当にほしいのは「答え」なんだろうか。


そう思ってしまったのです。




答えの中から答えはうまれない

去年、震災後に東北に何度も通って、
色々な形で出来る事をしました。

そこにいって活動する中で、
本当に生きる希望や、生きる原動力になるのって
物資などではなく(もちろん物資などが必要というのは否定しませんが)
人と人の「関係」の中で生まれてくるものなのかもしれない。

と思いました。

そこで答えを提示するだけでは、
あまりにも乱暴で、雑で、不完全ではないのか。と。


自分が違う場所から、大声で叫んだり、
でかいプラカードを掲げたり、チラシを配るようなことは、
なにかはき違えてしまっているのではないかと思うようになりました。



答えを一緒に導きだすその過程で生まれるものに本当の価値があるのでは。


昔、自分でもこう思っていたのを思い出しました。
「答えは別に欲しくない。一緒に歩いてくれる人が欲しい。」


自分はいつのまにか、
自分でも嫌だと思っていたことをしていたのかもしれません。



自分を無くす挑戦

また、今年は「人間関係」が最悪の年でした。
金銭的にも、将来の方向的にも不満ではなかったのに、
人間関係に悩まされ、それによって全部が崩れおちて、
ガタガタになった年でした。


職場でも社長とうまくいかず、なんどもぶつかりました。


ビジネスパートナー、そして長年の兄弟の様な存在の友達とも
激しくぶつかりました。


シェアハウスして、大ざっぱでありながらもマネージする側になって
ルームメイトとの問題も積み重なりました。


その他でも、自分と相手との関係の中で、
納得がいかない事が本当に沢山ありました。
こんなに多くの人間関係のジレンマにとらわれたのは
初めてかも知れません。


そこで気づいたのは、自分の環境の変化でした。

僕はシェアハウスをはじめ、勤務時間も以前より普通になり、
人と、しかも割り切った関係ではなく、プライベートも含めての
「しっかり向き合う」機会が増えたのです。

以前は、仕事も多忙で、それで言い訳がついて、友人知人とは
お互い都合がつく時間程度しか合いませんでしたし、
その時も近況報告程度。
会う人もそれなりにお互いあうメリットも明確だったり、
性格も趣味も大体会う人が多かったので
自分の許容範囲の中での付き合いが多かったようなきがします。

でも、ちゃんと向き合う時間が増えると
それだけ「しっかりとした対話」の時間も増えます。
そうするとお互いの違いというものが
多くの些細なトラブルを生み出し、
そのトラブルを解決するための対話を怠ると、
いつのまにか誰にも解決できない問題になっていたりします。


まるで、小さい雪玉からおこる雪崩のようです。



僕は、そこで完全にうちのめされてしまいました。


違いを認めたり
自分にとって不都合なこともうけいれたり
自分を傷つけた人を許したり


これら全て、自分ではできないものになっていました。


本当に、本当に嫌で、自分の我も嫌で、
愛したくても、もう自分の中に「憎い」という感情しかでてこなくて、
泣きながら神様に祈りました。

「僕には、人も自分も許せないし、あなたみたいに愛せません。助けてください。」

正直、自分の心もすりへって、ぼろぼろでした。
本当に全てをおいて、もう地元に帰ろうと思っていました。


そんな時に心を癒してくれたのは
僕の事を家族の様に気にかけてくれ、
一緒に時間を共有してくれた
家族とも呼べる友達との関係でした。


神様が与えてくれたこの関係を、
僕はちゃんと感謝していたのか、
大事に出来ていたのか。


同じ様に彼らも愛せていたか。
一緒に歩こうとしていたか。


「人をちゃんと愛せる場所にいなさい」


そう言われた気がしました。




「自分を減らせるように、僕をかえてください。」
と去年から祈っていて、
体験を通してその祈りの本質に気づかされました。

そしていかに最高な人間関係に恵まれていたかきづかされました。


大切にする関係の中で何がつくれるのか

いま与えられている関係を大切にする中で、
生まれてくるものはどんなものなのか

それを確かめたくなりました。

「俺の」ではなく、
「答え」でもなく、
「メッセージ」でもなく、

人と人が一緒に歩いている時のその感覚に
紙を浸したら何色にそまるのか、
どんな模様ができるのか、

そこを素直に写せたらいいなぁと。。


最近ですが、さらに僕の背中をおしてくれた記事がありました。
それはRe:S代表の藤本智士さんと、コミュニティデザイナーの山崎さんの対談記事
秋田 -「のんびり=ノンびり」がいい。

その中で、このようなことが言われていました。

その後、ダウンタウンのブレーンのひとりで
放送作家・脚本家の倉本美津留さんという方にお会いしたときに、
お笑いの現場の偶然性のおもしろさについて尋ねてみたことがあるんです。
そうしたら、100点満点のコント台本を書いても80点にしかならない。
でも、あえて台本を70点にして、3割の遊びを残しておくと、
芸人さんのポテンシャル次第で100点どころか
2000点が取れることがあるとおっしゃるんです。
まさにこれなんだよなぁ。と。
もっとディレクションの経験を詰んでいればこんなこと当たり前だと思います。
が、自分は特に1neでは自分の伝えたい事を伝えたい。という考えに捕われがちだったので、
そこからシフトするのは大変でした。これからもそことは向き合っていかなきゃと思います。



今年一番深くささったデザインの記事をもう一つ。
デザインって何ですか?-読者と山田の往復メール
ココ最近は3つのポイントやら、何かとまとめたエントリーが多いですが
まとめずとも文脈から読み取れた方が自分に一番しみ込むんですよね。

この言葉のおかげで僕はデザインともう一度純粋な目で向き合えそうな気がしました。

『いま、その人の身に起こっていることは、
その人にふさわしい』... 『自分の選択が表面的だったり、
自分がまわりをわかる能力が足りなかったりすると、
うまくしたもので、自分への痛みとなって
跳ね返って知らせてくれるのです。』


そこから進むには、
すこし窮屈な殻になっているきがして。
自分が歩けない気がして。
答えを勝手に決めてしまっていたから。


ーーー


だから、The only 1neでの冒険はここで終わりです。


1人でいい、じゃない。
俺は俺でいい!だけじゃない。
答えじゃない。


自分がその1人1人と歩ける場所から
ちゃんと噛みしめながら作る、

あたらしい物語のはじまりです。





よろしくお願いします。