IDOLに毒されたコミュニケーションが、僕達をおかしくする
こんなタイトルですが、私は日本のエンタメがとても好きです。
特にここ2、3年は、日本のアイドルにどっぷり使っています。東京で仕事をしていたりすると、それぞれのアイドルに近い方々と会えて、裏話を聞けたりするのでなおさら熱が入ってはまってしまいます。
アイドル自身だけでなく、関わる人達は昼夜とわず、彼らの関わっているプロジェクト(グループ)を成功へと導く為に全力で取り組んでいるのが話を聞いているだけでもわかるので、日本が創りだすこれらの文化はクリエイターにホント支えられているなぁと感じます。頭があがりません。(もっと金払ってあげた方が良いよ。クリエイターに。)
ではなぜこんなエントリを書くのかというと、
この文化にはまっていき、この界隈の人達の話を聴くにつれて、ある違和感を感じ始めているからです。今日はその違和感について自分の中での整理の意味も込め、簡単に書いてみようと思っています。
簡略化されたコミュニケーション
昨今の人との交流の手段は多様的になりましたが、総じてとても便利なものとなりました。EMAIL(携帯もそうですが、世界的な規模でみるとEMAILの方がもっと根底のところで影響を及ぼしてると思います)の出現後は人は何処にいても連絡をとれるようになったと同時に何処にいても誰かの要望に答えなければいけない状況も生み出しました。
その後、チャットやメッセンジャーなどインターネットの発展と共にその種類も増え今や東京と北海道でも、ニューヨークと中国でも、どれだけ距離が離れていようが誰がどのメッセージを「既読」したのかも分かるようになっています。
これらは便利性を生み出しましたが、自分たちにとって都合の良いコミュニケーションの取り方をを歓迎するあまり、それらが諸刃の剣として自分たちに降り掛かって来ているような気がします。
これは単に知人同士でのコミュニケーション間に起きていることではありません。(そしてひょっとしたら昔からあったのかもしれないけど)
今回その違和感を感じたのは「アイドル」と称される人達と
ファンのコミュニケーションの取り方。
今や日本から世界に輸出されている多数のアイドル。AKB48、ももクロ、でんぱ組.inc、キャリーぱみゅぱみゅ、多くの名前が日本というボーダーを超えて支持されはじめています。そして最近のアイドルとファンを結ぶコミュニケーションの仕方がとても興味深いのです。
アーティストの育て親感覚
彼女達とのコミュニケーションの取り方は色々ありますが、まずハードコアなファン(古参)の方達の絶対条件と言えば「初期の現場でのメンバーとの交流」になります。ブレイクする以前から彼女達の現場に赴き、そこでライブ、トーク、ライブ後の物販、握手会までしっかりとサポートします。そしてその後は集まった初期のファン同志で飲みにいったり、ご飯を食べにいったりして彼女達がライブで盛り上がれる為にはどのようなコールを(楽曲中の合間にメンバーの名前などを叫んだりする。言わば合いの手のようなものです。)したら良いか、彼女達をもっと知ってもらう為にはどういう活動ができるのか等を延々と話し合います。
実際にこのくらいコアなファンの人であればアイドル自身もその人のことを覚えています。握手会に何回も参加して色々と話しますので。場合によってはアイドルの実の親も覚えていたりして(ライブ会場によく応援にきてらっしゃいますから、子供を応援してくれるファンの人も覚える訳です)、そんな関係性をもてるなんて基本的に他のメジャーレーベルからデビューするアーティストさんでは中々体験できません。
要は、
アーティスト>ファン
という初めからカリスマ的な魅力をもっている存在としての関係性ではなく、
アーティスト=ファン
というアーティストもファンもどちらも無いと成り立たないような関係性になっていて、コアなファンが彼女達の価値を高めていき、最初の彼女達の成長期支える大きな存在となっているのです。この時期にそういったファンがいなければ彼女達はそれ以上の成長できる前に落ちていってしまいます。
これはベンチャーに最初に投資するエンジェルやVC達、
新規プロジェクトにクラウドソーシングで援助する
サポーターとの関係性にも似ているような気もします。
この体験が、アイドルの中にファンとしての自分の一部が文字通り入っていると思わせるのです。そうなると、もう放っておけません。気になります。
まるで自分の子供のように。
愛情を持つ対象との理想のコミュニケーションを提供する
彼女達は様々な局面を迎えます。試練、挫折、成功の狭間の中で色々な感情をステージ上、ステージ裏、そしてモニター、楽曲を通して伝えてきます。メンバーと運営、メンバー同士、メンバーとファン、世間、他のアイドル、彼女達がそれらと触れる度に見せる表情を目にする内に、自分が子供を愛でる感情が混ざり始めます。
私が以前参加させて頂いたライブの中で仲良くなったファンの方の多くは、そのアイドルと同じ年齢の子供がいました。ですが、自分の子供に注げる愛情と彼女達アイドルに注ぎ込めれる愛情には温度差がありました。
その方は彼女達は「自分を泣かせてくれる」と言っていました。
何故泣くのでしょうか?
おそらく、彼女達との交流の質と、実際の子供達との交流の質には差があるからだと思います。本来自分たちの本当の子供を育てる方が、幾倍もドラマがあり、育ての親という実感があり、情も注ぎやすいはずです。ですが何か違うです。なぜか純粋に感動できない部分がある。
それはなぜか。
それは「自分」という感情が入る余地が
どれくらいあるかに大きな差があるから。
実の子供と自分とのコミュニケーションには利害関係が発生します。良いこと悪いこと全て自分の実生活に影響する訳です。こうなると子供が辛いからといって自分がいつも同情できるわけではありません。子供が辛い時、自分が不都合なことを押し付けられ激怒しているかもしれません。
子供が幸せな時、自分は犠牲を払いすぎて悲しんでいるかもしれません。それが日々の生活に直結して影響してきます。
それがアイドルでは起こりにくい。
言わば
「友達の仕事の苦労話には同情できるが、いざ自分の部署でそんなことを友達がやったら同情はできない。やっぱり友達とは仕事できないな。」
という状態と似てる訳です。
こういうことが無く、純粋に「混ざり物無く」ただ彼女達に感動し、同感し、サポートできるという言わば「自分が常に支援者、理解者として愛情を注げる関係」というが出来ている。しかも異性である。そんな要素に魅了され虜になるわけです。
私が言いたいのはこれ。
「どんだけアイドルに対して純粋な気持ちをもてたとしても、自分が現実で人をちゃんと愛せるだなんて勘違いしちゃダメだよ。」ということです。
実際の人対人の関係は、割り切れません。負の時期を一緒に過ごすことを求められます。面倒くさいことが10割と言っちゃってもいいでしょう。純粋に相手を好きになるという「純粋」は通用しません。ちょっと嫌な部分には目をつむるとかそういうことができないわけです。でもアイドルを好きになるとそこを勘違いしがちです。
そして「もしかしたら、こういう関係だったら、もしアイドルみたいな子がいたら僕も自分の純粋な気持ちを彼女に注げるのに...。」とか思ってしまう訳です。とんでもない勘違いな訳です。末期です。
そんな人はいません。
義人はいない、1人もいない。
そんな人がいたらそれは擬人化された偶像です。
だからアイドルはアイドルなのです。
みなさんも肝に銘じておいてください。
そんなのは
ももクロの百田夏菜子と
高城れにくらいしか存在しません。
んじゃ、また。