モンスターボール100個

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デザインを崇高なものとして捉えない

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最近の度重なるデザインのイメージダウン。
デザインに関してまた考える機会ですね。


この記事、
五輪エンブレムと明治神宮鎮座百年
要約すると

  1. 原研哉さんが提案していたオリンピックロゴの案が明治神宮のロゴと激似
  2. これ要は採用されなかった案を別のところで使ったんじゃない?
  3. もしくは近い場所で同じようなロゴを2つ展開されることを狙ってたの?

って感じの内容なんですが、
僕最近のデザイン業界云々に関して思うのは
水野学さんが情熱大陸で言っていた

「デザインを...すごい崇高なものとして捉えすぎなんだよ。」
「崇高なものだよ、役割としては崇高なものだけど。」
「誰にもできないものという意味ではない。」
「誰にでも出来るもので、誰もがやっていることだよ。普段から。」
「自分の仕事なんて1つのパーツにすぎないんだから、緊張することはないんだよ。」
「だけど、その1つのパーツを築かれないということはあると思うんだよね。」
「責任はすごく真っ当しなきゃいけないものだけど...。」
って話に似ていると思いました。
(あの発言の文脈を完璧に理解できてるわけではないですが...)


やっぱり過大評価しすぎている。
これは一般の人たちが抱いていた今までのイメージ
(それはもしかしたらマスメディアに露出していた業界の人たちが
築いてきたイメージかもしれない。)

もしくはADC,JAGDAなどでレベルを高めて、
理解の敷居を高くしすぎて、他の人たちを
おいてけぼりにしてしまったがためなのかもしれない。

でもまぁ、どんどんこんな現象が起きていくのはまずいよね。
※でも、この差がんじゃぁちょっとやそっとで
埋まるかっていうとまた違うけど...。

デザインでビジネスの課題解決にちゃんと
貢献できているのかもわからずに
ただ賞におだてられている状況が放置されてきた結果がこれなのでは...と。

上にいる人はわかってるかもしれないけど、
業界内の多くの人たちがそこはわからず踊らされるまたは
鬼畜業務をこなすだけになっているわけで...。

そんなにすごいものだと思わないほうがいいよね。
見てる側も、作る側も。