モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

人間が生きる根本的な源って

多くの方が、希望を失ったまま苦しみながら生きているというリアル

僕は一ヶ月に一回、仲の良い友人やその友達等と集まって
しゃべり場」的なシェアリングをする機会を持っています。



僕は、前の日記でも書きましたが結構参っています。笑


なぜかという理由は色々と細かく話す事は今回しませんが、
そんな中で参加したシェアリングの場。
今回のテーマは「希望/HOPE」でした。


そして感じたのですが、
多くの方が、希望を失ったまま苦しみながら働いています。


僕自身、最近はその一人だと思っていましたが、
自分には家族だったり、友達だったりに本当に恵まれていて、
自分が無茶して、跳ね飛ばされても、キャッチしてくれると信頼できるくらいの
仲の友人に囲まれている事に気付かされました。


ですが、今回色んな人の話しを聞くと家族の事情であったり、友達との事情であったりで、
どうしようにもやりきれない気持ちになってしまい、希望などもてなくなってしまっている人がたくさん。。。


聴いていて、僕はヘタに言葉をかけてあげることは出来ませんでした。


そんな自分も受け入れてほしい。

でも話しを聴いていて、気づいたことがあります。

それはみんなが、
自分の努力、労働、苦労、悩み、だけでなく、
喜怒哀楽すべて、分かって欲しいと心の何処かで本当に思っている。

そして、そんなめちゃくちゃな中を歩んでいる自分でも、
存在価値があるんだと言ってほしい。受け入れてほしい。と思っているんですね。
(これは、僕自身もそうだと思っています。)


だから逆に、それが感じれない状況には
自分の生きる意味、価値が見いだせなくなって、
自分から命を経つという選択を選んでしまう。

どちらも勇気がいることです。ただ、自殺を選ぶということは、
それほどまでにこの世に自分の生きる意味を見出せないということなのかも知れません。


では、生きている希望をもつには?


聴いてほしい、受け入れてほしいと苦しんでいる本人たちが叫ぶように、
お互いを認め合い、お互いを受け入れて生きていける。
それが生きる希望となるのではないでしょうか?


高い給料、良い車、良い家、贅沢な暮らし、


その何かを手に入れる事よりも、自分の暮らしの水準をあげるよりも、

生きる為に欠かせない何かを守るために、僕たちは捨てなきゃいけない何かがあるのかもしれない


そう思いました。


僕らの仕事、金、は生きて行く上で必要なツールであります。


しかし、それらは人生の中で皆が経験する苦の時に、
あなたを愛してはくれません。あなたと一緒にいてくれるわけではないです。

つまり、「生きること」に価値を見いだせる「希望」ではないのかもしれません。
少なくとも、今多くの日本人が自分を殺しながら生活している現状では。。。


最後に、好きなことはトコトンやれ!笑


みんなに仕事に没頭するのはやめろと言いたいわけではありません。
今やっている事に、本当に生きがいを感じ、心から愛し、仕事をしている方もいらっしゃいます。
そういったものを見つけられることは、容易くないかも知れません。

ただ、それを見つけることを辞め、何かに強いられながら、
希望もなく働くには得る代償があまりにも虚しいものだと思うのです。



日本では、多くの場合で他人の人を妬み、他人の目を気にします。
転職するのも、あまり良い目では見られなかったり、、。
うつ病になって会社をやめても、「あいつは精神的に弱い」と言われたり。


でも、本当に生きる価値をみつけるために、
今あるモノを手放すことは決して愚かなことだとは思っていません。


"He is no fool who gives what he cannot keep to gain that which he cannot lose."
"失えないものを得る為に、持ち続られぬ何かを捨てる人は愚かではない"
Jim Elliot