モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

イエス・キリストは僕がみている、世界の希望

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前回の記事で、ももクロについてあんな事を語って、

「こいつはどうしちまったんだ。」
「とうとう童貞こじらせて頭がおかしくなったか。」
「きもいwほんとうにきもいっっw」
facebookのフレンドから外そう。ついでにTwitterもブロックしよう。」

とか色々と思われたとおもうんですが(主にリアルな友人達から)


でも、逆にももクロちゃんを大好きな人達は、
大方納得してくれたんじゃないかと調子にのって思っています。




さて、前回はああいったサブカルによくみられがちな
「崇拝」的な中毒の度合いを
最後で軽く宗教と重ねあわせた訳ですが、

こういうことは、僕の人生において一番大きな
生き甲斐のファクターとセットで書きたいなぁと
思っていたんです。実は。





まず最初に、一つお話をシェアさせてください。




8年前くらいの話

僕は本当は
今日この日、存在していないはずでした。



こうやって、ブログを書いている事もなく、
前回ももクロの記事を書けているはずでもありませんでした。





一瞬で、死が自分の目の前まで、
もの凄い勢いで迫ってきました。






もうだめだ、と思った瞬間。
僕はどんっ!っと押し出され、
ふっとばされ、倒れ込みました。







振りむくと身代わりになってくれた人が、
そこに立っていました。



その時は、良くは見えませんでしたが、
僕を助けてくれた人は、
どんな時でも僕を心から
受け入れて愛してくれていた人でした。



どんなに僕が不愛想に接しても、
都合のいい時だけ絡んで、他の時は無視をしても、
悪口をいっても、裏切っても、
なんども同じ過ちを繰り返しても、

ずっとそばにいて、一緒に笑い、
一緒に泣いてくれる人でした。





今まで、きづかず、自分の都合のいい様に生きてきた自分。
そんな自分を押し飛ばして、救ってくれて。





そこに血を流しながら、佇み。

僕を見て、何も言わず…。

僕の目を、、ただ、じっと見つめていました。






僕はそこで泣き崩れ、ただただ泣いていました。











その日から、
僕はその人がくれた命を感謝して、
彼の為に生きようと決めました。


このような事が実際にあった場合、
あなただったらどう感じますか?
何を想いますか?
その後どういきますか?




僕はその日から、彼が僕に接してくれた様に、
無条件の愛をもって、互いに愛いしあいながら、
いきていきたいと思いました。



僕にとってイエスさまとの出会いはそういうものでした。




そしてイエスさまがそこまでして僕達を愛してくれ、
そして僕達が迎えなければいけなかった「死」を
身代わりになってくれたおかげで、
その死をも超えて僕達が生きる事ができることに、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。



その愛に比べると、この世で得られるものすべては虚しく感じます。
金、地位、名誉。
これからはすべて過ぎ去っていくものです。







なので、僕が生きるべきはここに集約されます。


拾われた命。神様の示す愛の為にいきる。





で、こっからが問題。

ここで「ウッ」。
「こいつガチで宗教を語り始めやがった」
となったかたはここでウィンドウを閉じてください。

こっから更に潜っていきます。



でも、愛をもって生きれない矛盾

とは言いつつも、今年だけで思い返しても、僕は何度も挫折を味わいました。
何度も自分の心が憎しみや妬みや、傲慢や、自分中心の欲で覆われました。

でも、それでも神様が僕達をどんなに愛していて、
その為に死んで僕達の身代わりになってくれた。





そして「重荷を私の所におきなさい。」って言ってくれた。



そういってくれると、本当に癒されて、
もうそこでぼろぼろっと泣けてくるんですよね。

自分のありのままのありのままさの故に。
「この憎い気持ちや妬みの気持ち、傲慢や、自分の欲も
全部あなたに委ねます。」と。




そう信頼して委ねられるとき、自分の心が自由になって。
また生きよう。と思えます。

またそんな妬みや傲慢やらにとらわれず生きようとおもえるのです。







つながる先が、永遠ということ

宗教からの教えだけじゃなくても、いろんな良い教えを世の中から吸収する事が出来ます。
前回のポストであげたももクロの事もそうです。
彼女達からもすばらしい事を教えてもらう事ができます。
だからあれだけファンがつくのだろうと思います。


仏教や神道もそうですし、イスラムやヒィンドゥーにも、
創価学会にも、幸福実現等にも、良い教えは沢山あるでしょう。


日本昔話にも、ギリシャ神話にも、


ももクロにも、アニメにも、


ヒップホップにも、J-POPにも、ロックにも、パンクにも、


自然にも、宇宙にも







でも、「罪」と「死」からは解放してくれません。


人はみんな生をもって全員「罪」を犯し、その人生のたどり着く先は「死」です。
(魂はどこまで行くかはわかりませんが、肉体も一つとして人間と捉えるこの世界では、少なくとも人間としてたどり着くのはそこまででしょう)




そこを変える事ができるのは、自然の摂理を超越した存在でないとなし得ない事です。
つまり、人が罪から解放され、死からも解放できるのは「本物」でないと無理なのです。




本当のオリジナルは2つとない

人は様々な物を人生の拠り所とします。

ですが、人生の中で何を一番大切にしておくかは、
何を基礎として心におき、何を愛して生きていくかは、
そう多く選べるものではありません。




この世界で色々と神あつかいされるものが出てきていますが、
理想論を掲げて、同じ様な事言っていればいいのではなく、
本当に僕達をつくってくれた神様でないと無理なんですね。



でも自分たちで神をつくりあげるのは簡単です。
自分たちで、それぞれ拠り所を作りそこに自分の全身全霊こめてサポートして、
そこを自分の生活の中心として生きていくのは簡単です。

でも、それが「本当に自分を罪や死から解放してくれる」存在でなければ、
拠り所にして、「中毒」にはなったとしても、満たされることは無いでしょう。


それを自分が信じて、求め続け、自分が気持ちよくなったとしても、
それが本当の存在でなければ意味がない。
結局、罪にとらわれたまま死んでしまうからです。


だから本当のオリジナルに僕達をつくってくれた存在に、
僕達の事をきかないかぎり、死について、罪についてきかないかぎり、
そこの事は分かりませんし、そこから解放もされないし、
その二つから生まれる虚無からくる心の穴を満たすこともできないでしょう。


本当のオリジナルは、元を辿れば必ず一つです。
そこに惑わされない様にしなくてはいけない。と思っています。




ももクロのことを「宗教」という捉え方をするまで発展してたのも、
モモノフさん達が、何時間も並んだり、チケットを何万つぎ込んでもかったり、
そして集まった場で声をあげて応援する様が
(断っておくと、ももクロだけでなくアイドル、アーティスト、有名人でもそうですね)
宗教をする人がするそれと似ているからです。
仕事だって休んで行く人達がいるわけですから。
これは彼らの人生の大半をしめている拠り所なんですよね。

ももクロちゃんの魅力を理解するあまり、
ももクロちゃんが僕の宗教的存在になってしまっては、
やっぱり本末転倒だなぁと思ったわけです。
(もちろんももクロちゃんが大好きな事に変わりないのですが)

まぁ「肩の力抜けよ。もっと気軽に好きなればいいじゃん。」というのが
一般的な正解のアンサーなんですが、僕の性格上どうしてもがっつりぞっこんになってしまうので、
自分の考えと想いを整理する為にも文字に起こして書いておこうと想い
また長々と書かせてもらいました。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

でもどうなんですかねぇ。
このポストと、前回のももクロの記事。

やっぱり比べると、こっちの方がひかれるのかなぁー。とか思いますよね。
でもその流れ自体どうなんだろうって思いますしね。
普通に好きなら良いけど、本気で信じてるのは引くわぁ。みたいな。

でも、モノノフさんとか下手したらそこらへんのクリスチャンが神様信じているより本気で
ももクロちゃんの事信じて応援してると思いますよって話ですよね。

本当に好きだったらそこまでいっちゃうしねぇ。。




結局ももクロで釣って、自分の宗教の話かよ。
と言われればそれまでですが、
僕が大好きなものを語る場なのでどうかご勘弁を。