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震災後のクライストチャーチの現状

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去年の11月半ばから1ヶ月間、休暇を取って9年ぶりに私の第2の故郷ニュージランドに行ってきました。


友人の結婚式への出身が
一番の理由だったのですが、
9年ぶりだったのでどうせならと思って
(14年の年末から長期休暇を全然とっていなかったので)
結婚式の後、友人知人を訪ねたり旅行に行くことに。

訪れる場所の一つに
クライストチャーチという場所があったのですが、
そこに着いた時に衝撃を受けたのでブログを書きます。

私の中のクライストチャーチのイメージ

記憶の中のクライストチャーチといえば、
ニュージーランド3番目の都市で、
イギリス人が移住してきてからずっと残っている建物が多く、
綺麗なイギリス風の街並みが残る
ニュージランドが誇る観光地の一つでした。

2011年、東北の震災の数ヶ月前に
クライストチャーチで発生した地震
マグニチュード6.3を記録。

大聖堂を含む
市街地の多くの建物が被害を受けて
185人以上が死亡・行方不明に。
犠牲になった日本人の方もいました。
カンタベリー地震 (2011年) - Wikipedia

その後東日本大震災があったため、
日本の人の記憶にはそこまで残っていないかと思いますが、
私にとっては第二の故郷なので
当時とても心配したのを覚えています。

4年後訪れることになり、
観光ガイドにも復興活動やRE:STARTという
新しいショッピングモールなどの情報があったので、
復興して生まれ変わった
クライストチャーチの様子を楽しみにしていました。

実際には...

ですが...着いた日曜の夜、
クライストチャーチの街は、
ゴーストタウンのように誰もいませんでした。
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あ....れ...。

東北に何度も足を運んで、
訪れるたびに建物などの施設や
インフラ復興の早さに驚いて、今や
津波の被害があったのかもわかりにくい場所も多い
今の東北を基準にしていたため、
日本までとは言わずとも4年も経てば...
と思っていたのでショックを隠せませんでした。

人がおらず、私が泊まっていた
市街中心部にあるホテルの周りが廃墟状態。

もちろん数件やっているレストラン等はありますが、
ビルというビルが廃墟ビルになっていて、
そこらじゅうにグラフィティが描かれている状態。
(アーティストを誘致して復興活動を一緒にしていたという背景もありますが)

そして、記憶の中にあった
イギリス風の街並み、綺麗な公園や、
観光客で溢れて活気のある雰囲気は
跡形もなく街から無くなっていました。

友人や道中で数人聞いてみたところ、
古い建物で構成された市街地だったため、
地震に耐えることのできる建物がなく、
地震の後も続いた余震に多くの人が恐怖し
クライストチャーチを離れたというのです。

なんでだろうか...

これはもしかたら
多くのヨーロッパ系のニュージランド人たちは
まだ3世代ぐらいしかNZに根付いておらず、
イギリスやフランスに親戚がいるという人たちも多い為、
東北のようにここに居座り続けて復興させる!
という想う人も少なかったのかもしれません。

後は、観光で成り立っていたビジネスが多かったと思うので
大聖堂や多くの観光資源がダメになった今、
クライストチャーチで生活することが困難になった人が多いのも原因かもしれません。

実際に、クライストチャーチのある南島の下部に位置する
クィーンズタウンで出会ったTAXIのおじいちゃんは
クライストチャーチで生活していたが震災後逃げてきて
それからずっとクィーンズタウンで生活してるとのこと。

クライストチャーチのホテルであった女性は
震災以前は住んでいたが震災後から最近まで
オーストラリアで生活していて
つい数日前に帰ってきたのだそう。

多くの人がもし、希望をなくし、諦めたら
東北もこういうことになっていたのかもしれない。
4年経っても全然復興したとは言えない
状態になってしまうという現実を知らされました。

日本と比べれば規模は小さいですが、
ある程度の規模の都市だったとのも関係していると思います。
都市は一度崩壊してしまえば
中心部は全てを更地にして
立て直すということもスムーズに進みません。
関東大震災が起こった場合のことを考えさせられました。

ペースが遅くても、止まっているようでも良い。復興は不可能じゃない。

かなり気持ちが滅入っちゃっていたのですが、
翌日は気分を切り替えて、
街の賑わいを取り戻しつつある場所を見たり、
街の他のエリアを探索したりしました。

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市内にあった地震の資料センターを訪れてわかったのですが、
実はクライストチャーチ
この規模の地震の被害にあるのは
2011年が初めてではなく、
1888年にも同じような地震
大被害を受けていました。
クライストチャーチ大聖堂 (クライストチャーチ) - Wikipedia


私が10年前に出会ったクライストチャーチ
既に「復興した」クライストチャーチだったのです。
それを知って、
何か少し希望と平安が与えられました。
少しずつでも、
ペースはそれぞれでもいいから
進んでいけばいい。
復興はできる。と思いました。

次は何年後になるかはわかりませんが、
また私が訪れる時にはきっと
クライストチャーチは復興し新しいスタートを切って、
また観光客で賑わっているんだろうと思います。