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日本は宗教に寛容とかいうけれどあれは嘘

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個人的な実体験に基いた感想ですが、
別に日本は宗教に寛容ではないですよ。
anond.hatelabo.jp
これを読んで、時々感じていたことを思い出したので書く。

自分はおじいちゃんの代からクリスチャンの、
クリスチャンファミリーで生まれ育った。

土曜日に教会に行く宗派だったので、
昔から土曜日は学校を休み、
中学は全寮制のキリスト教学校に一年...
(そこでの経験も相当濃かったのだけど、それはまた別の機会に。)

ニュージーランドで自分も信じ始めて、
自分が物心つき始めてから
ずっとクリスチャンとか、宗教という
ラベルと一緒に生きてきた。

その上で、

  • ニュージランドで様々な国籍・宗教の人たちと交わってきた
  • その他の国、東南アジア、アメリカに行って現地の人交流した
  • 日本に戻ってきて社会人として10年以上暮らしている

を前提とした、自分の経験則で話をさせてもらうと

日本人は宗教に寛容じゃない

まず「日本は寛容だよ。」という
タイトルで始まる宗教トークって、
基本的には唯一神」を蔑み
多神教の「寛容性」を語る、
「日本は素晴らしい」という
自慰トークの場合がほとんど。

これ9割これだから。
本当に。

日本人は宗教を知ってるけど、9割わかっていない。

これはどういう意味かというと、
みんな「信仰」したことがないから、
各宗教の概要程度しか知らないってこと。

何かを信仰するという気持ちを
出会ってきたほとんどの日本人が
理解できてないと感じた。

そして、ほとんど日本で学び
日本人との中でしか
「宗教」を話したことがないから
イデオロギーが蔓延している。

クリスチャンが日本人の人口の
1%にも満たないっていう話は
キリスト教信者たちが昔から嘆いていることで、
本当に日本に根付いていない。

さらにいうと、

  • 教会にいくだけ
  • 口でそういうだけ

の人も多いので、
本当に信じている人はどれだけ少ないのか...。

神道や仏教を受け入れた
日本の独自の宗教観
八百万の神と呼んで
あぁだこぉだ話すけど、

  • 八百万の神も信じていない人
  • 神道や仏教も参拝にたまに行く程度で本当に信仰していない人

そういう人たちが八百万の神の名を使って、
他の宗教信者を下に見る。

または自分たちの信仰的土壌を
誇らしげに話すとき
とても残念な気持ちになる。

だってそこに「八百万の神」に
受け入れてもらっているはずの
僕の信仰心が入るスペースがないから。

なのにそれを語っている人たちも
別のその八百万の神を信仰しているわけじゃない。

んじゃ、君たち一体誰のために
何を語ってるのって思う。

もしかして唯一神
批判したいだけなんじゃないの?って。

違う文化にすら未だ全然寛容じゃない

これは日本だけには限らないけど、
基本的に日本人は他のアジア系を下に見ていると思う。

これはもぅ、社内で年功序列で出来た
パワーバランスかのように、
限りなく無意識に近い形で差別している。

自分が最初に入った会社でも、
ジョークなのか嫌味なのかわからないけど
ことあるごとに
「帰国子女かぶれ」とか
「海外かぶれ」って言われた。

なんだそれ?
よくわからないレッテルだなぁ。

海外で育って違う文化や
しきたりが身についている。

だからこそそれ特有の違いや
ミスを起こしたのかもしれないけど、
日本の社会のルールでの経験不足で
ミスを犯すのは、海外だとか
帰国子女とか関係ないだろ。
新卒だって
ほぼ同じような理由でミス犯すだろ。
...やべ、脱線した。

話を戻そう。

もう一つ例は
他のアジア人に対する態度だ。
私は自分の周りで、
ろくに接したこともないのに、
他のアジア人の大半が
いけ好かない奴だと思っている人を知っている。
「韓国人は...」とか「中国人は...」とか。
で、特に接したこともないのに
「あいつらは昔からそうだ。」って言う。
イデオロギーまみれ。

中には、彼らには強気で出て良いと思ってるのか
飲食店でうまく伝わらない
外国人のウェイターに怒鳴り散らしたり。
一方的に命令にしたりする人もいる。

最近のヘイトデモも見てて悲しい。
そんなことが起こっちゃうって、
多神教の、いろんなものを受け入れる精神が
全然モラルとして根付いていないってことだと思います。

多神教の限界

冒頭で話した
八百万的な考えをベースに
話す人達から
「いろんな神を受け入れるから、他の宗教みたいに
他の宗教を否定したりしないよ。」
ってよく聞かされたんですが、
この主張には限界があると思うんですよ。

「神は私ひとりしか存在しない。」という唯一神A
「神はいたるところに存在する。」という多神B
「神は私の他にいない。」という唯一神B
これらを一つにまとめることなんてできないのです。

つまるところ、
唯一神というコンセプトを否定しないと、
多神というコンセプトが成立しないのです。

だから多神教ベースの日本が寛容的というのは、
彼らが話すときに出る態度と同じように、
それは「聞こえ」だけ寛容的で、
口に出してそれを実行しようとした瞬間、
唯一神を否定してしまうので
何も寛容的じゃないのです。

唯一神を信仰して争いばっか起こしている唯一神信者のお前らが何いっとんねん

ってこれもよく言われます。
「お前らが、この事態を起こしてるんだから。それは自覚しとけよ。」
って。

「宗教がすべての戦争の根源だ。」
とか。

よくわいれます。これは日本のみならず
他の国でもよく言われます。
最近のニュージェネレーションなヒッピーな子とかも、
この考え方があるから、
宗教なんていらないって考えが多いです。

で、ここでまた戻ってくる問題が、
「信仰」したことがないからわからないっていう点です。

信仰しその教えを求め続けていくと
あることに気づきます。
「宗教」というのが、いかに「神」でなく
「人間」が「後付け」で作り上げた
組織の名称かということが。

よく周りから
十字軍のことを言われます。
聖戦だといって
他の人を殺しているじゃないかと。
最近のISISが持つ他宗教への
排他的な考えもそうですね。

でも、それらがいかに
宗教や信仰心を国家や別の組織が
政治的に利用したものかというのは語られません。

なぜなら宗教をよく知らないため、
実際には聖書ではそんなことは教えていない、
そんなことは良い事とされていない
ということを知らないからです。

ただキリスト教の名の下に
もたらされた結果を見て
「宗教は戦争の根源」と
思ったわけです。

印象操作ですね。
プロパガンダです。

第2次世界大戦で行われた
プロパガンダと一緒ですね。

日本でも天皇陛下の名を使い、
多くの人が殺され、死にました。

でも日本人はその天皇の存在が
他の国が描くような
鬼人ではないことを知っています。

同じようなことなんですよね。

宗教の教えが言わんとする真理を探し求めて、
それが何なのか理解しようとする人たちは
他の宗教、信仰を否定し他を殺そうだなんて
私が出会った信仰深い人たちの中ではいませんでしたよ。
(なんの宗教を信仰しているかは関係なく)

日本に帰ってきてからは
少し宗教を知っている人たちからは
決まってこのような批判を受けます。

文化・宗教が混ざり合う場所では

私が5年過ごした
ニュージランドの高校では
本当に多くの国の人と出会いました。

中国、台湾、韓国、タイ、マレーシア、フィリピン、
ネパール、サマリア、ナイジェリア、ジンバブエ
アメリカ、カナダ、ロシア、モルディブシンガポール等。

その中で宗教の話をしたこともありますし、
神という存在について語ったこともありますし、
好きな女の子のタイプや、ゲームの話、
ヒップホップの話、今度の夏休みの話、
なんでもしました。

彼らの宗教の話、文化の話。
180度違くてとても興味深い、
勉強になる話でした。

「相手が自分とは全く違う価値観を持っている。」
という前提を正しく受け止めれていれば、
双方相手を否定するなんてことはありません。

逆にもし少しでも「自分の方が正しい。正当だ。」という
考えを持った上で話せば必ず相手を傷つけます。

みんな違って当然なのです、唯一神を信じているから、
多神教だから、無宗教だから、優劣があるということは
決してないのです。

それが意外と、自分の土壌で培った価値観にとらわれすぎると
気づかないのです。

少なくとも私の経験上では
日本では知らずのうちにかどうか知りませんが、
価値観に優劣をつけて話す人が多いです。


ーーー

ていうか、あれだね。宗教信じている人が「寛容じゃない」って感じる時点そうだよね。

「俺、すごい寛容的だよ。」って自分で言ってるけど、
肝心の宗教信じてたり、信仰持ってる人がその人と接してそう感じないという。
なんとも滑稽だ...。

あとこの記事を読んだのもこの件について考えるきっかけとなりました。
logmi.jp