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モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

クリエイターの罪と罰

design

First things first*1

まずはじめに、この宣言を読んで頂きたいです。
ざっくりでいいので。

宣言

ここに署名したわれわれは、それぞれグラフィックデザイナー、アートディレクター、そしてビジュアルコミュニケーターである。われわれが生きてきたのは、自分達の才能を最も効果的に、都合のいい形で、金儲けに利用する手段として、絶え間なく広告産業のテクニックと装置にわれわれがさらされてきた世界である。
(中略)
だがわれわれの問題解決能力には、もっと価値のある使い道が残されているはずである。いままでに例のない自然環境の、社会の、そして文化の危機がわれわれの目を見開かせようとしている。多くの文化的な内政交渉や、ソーシャルマーケティングキャンペーン、書物、雑誌、展示会、教育用のツール、テレビ番組、映画、慈善活動、そしてその他多くの情報デザインプロジェクトが今すぐにわれわれの専門能力と尽力をまさに必要としているのだ。われわれはそこまでいまよりもっと有益でしかも長続きするようなコミュニケーションの形をとった、今までとは逆の優先順位というものを提案する。それは商品のマーケティングを離れて、新しい意味を探し、そして見つけることへのわれわれの考え方を変えることである。議論の幅が狭くなりすぎているのを、大きく引き伸ばすべきである。
消費者主義があまり追求されずに進んでいるのを、これまでと違った視点から考えなおすことが必要である。

wikipedia - ファースト・シングス・ファースト


この宣言は僕が専門学校で勉強をしている時に、“広告”の元編集長でもあった池田正昭さんから授業を受けた時に知り、衝撃をうけました。


産業革命が起きて、大量生産され、大量に消費されていくなかで、そのプロモーションツールの一つとして消費を促すような宣伝を企画する事を重きにしてクリエイターは仕事をしてきました。


しかしその大量に生産し、常に消費者を満足させた状態を維持させようとする社会は一見便利の極みかと見えたものの、人を逆に傲慢な精神を持った緩和状態にさせてしまったのかもしれません。


そして、本質の”生活”が当たり前になりすぎ、それをおろそかにして、品のないコミュニケーションの形を”クリエイティブ”や”おもしろい”といった動機で作り上げてきました。


実際に、十年前などにCMで一世を風靡したBUDWEISER WAZAAAAAAAAAAAAとか、


面白いんですよね。
面白いんですけど…その時は、面白いでよかった。


その”面白い”といった事自体には罪はないとは思います。


ただ、その背後にある社会のあり方、社会の人を扱う流れの傾向を
しっかりと見定める事をしていなかったのではないでしょうか?


なので、高度成長期にあった国はそのまま成長を続けてきましたが、
いまの経済をもってすれば世界中の貧困をなくす事ができるとも言われているにもかかわらず、
そこにはお金は全くと言っていいほど流れません。


いや、流れてますけど…割合を比べると……


で、その状態を


“働かざるもの食うべからず”“弱肉強食”
の言葉でかたづけるのならばそれまでなのですが……。


そのまま”調子が良い”人たちだけが抜き出た社会を維持した結果が
”環境破壊”や”戦争・紛争”、”貧困”などの問題を置き去りにしてしまう結果に
つながってきたのではないでしょうか?

現状:利益のおまけの社会貢献

今だからこそ、CSRという名の下に色々な行動を企業レベルで行っていますが、
この状態を俯瞰してみるならかなり手遅れな状況であたふたしているように見えます。


近年任天堂までもが”CSR活動”を始めました。その内容によると、自社が提供するゲームなどを子供たちに提供したり、ゲームを作ることを学べる環境を提供したりなどして、ゲームをの”楽しさ”を通して社会に”楽しみ”を与えようとしてる訳です。


つまり、それを通じて社会を、人を、人の心を明るくしようとしている訳です。


そこで、ちょっと疑問に思うんですが……。
それってゲームを提供する任天堂の”大前提”ではないのか?と。


任天堂が今更改まってそこに取り組むということは、ある意味、近年作ってきた、または任天堂を通して提供してきた”ゲーム”ではそれをなし得ることができなかったって意味なんじゃないんですかね?

別に、任天堂をだけを敵にみたいにしたい訳では決してないです。


何が言いたいかというと、いままでに消費者に提供してきたものでは経済的な高度な成長はできたが、人の心を本当の意味で幸せに導くことはできなかったと。


まぁ、そこまで完璧を求めないにしても、今のやり方では問題がある。と。


この国がもつ病

うつ病増加の一因!? 現代人が陥った「空虚な承認ゲーム」って何だ?
2010年の自殺者、依然として3万人超え 警察庁
[http://matome.naver.jp/odai/2130518362205399001
:title=日本で自殺が多い理由]


その象徴が、先進国に蔓延することで有名な不思議な病気、病気”鬱”とその先にある”自殺”です。


今年の3月11日にあった震災で亡くなった方は約1万8千人前後だと思います。行方不明者を含めると2万超えますが。


実は、こんなデータが先日公表されました。日本での自殺での死亡者の数が去年を上回り3万人を超えたのです。


これはそうとうな数ですよね。
津波のような災害が一気に人の命を失うこともありますが、じわじわとしかし確実に人の命を蝕んでいるものもあるのです。


その3万人を、例えば今回の震災抜きに去年聞いたとしたら、ほんとうのほんねを問いただせば”自殺は自業自得”や”鬱は心が弱いから”などという何か目を逸らしてしまう気持ちがみなさんのなかにあるのでしゃないでしょうか?

2万人の被害者のために、国をあげて、緊急事態として、総力をあげて取り組んでいるのに対し、この一年で3万人の死者がでている問題に対しては特に……という状態は絶対におかしい!です。


この自殺の動機や原因については次の機会にかこうと思いますが、


その亡くなった方に問題があったんだよ……とか、ちょっとおかしくなっちゃったんだよ……とかそんなナンセンスな言い訳で片付けるのはやめましょう。


この状況を作っているのは、この”社会”です。それは間違いない。


そしてその象徴とされるいきかた、奴隷のように働き、家族とも時間をしっかりもてないような環境をつくり、その引き換えに消費者を飽き足らせ、その緩和状態はを保たせる……


そのサイクルを変えていかなければなりません。


まず、その社会が成り立つ”消費を促す”要を握っている僕たちクリエイターが変わっていかなければなりません。


かつて、ナチスのような独裁者の国家を助長し、人々を洗脳するのに従ったデザイン、日本の国を忠誠を助長したデザイン。。私たちクリエイターは歴史的にみて、多くの間違った方向に人を導いてきたのではないでしょうか?そこを解決していきたい。

問題解決に力を注ぐ理由

なぜ問題にフォーカスをあてるかというと、今までのクリエイターの思考が”臭いものには蓋をする”だったからというのもありますが、問題を解決し社会にフィードバックしていくことが改善への近道だからです。近年乱立しているWebサービスでも、優秀なサービスを立ち上げたチームはこの問題の認識、改善、そしてサービスへの適用がとてつもなく早いです。


今回の震災をとってもそうですね、ニーズは瞬時に変わっていきます。流行なんかよりも全然はやいスピードで。それを無視するのではなく、すぐに認識し、改善していくことが必要だと思います。


そしてクリエイターは僕たちの立場でのその役割をするべきだと。


このことはコカコーラなど商業的に成功を収めている企業でも同じです。コカコーラはいまや世界中どこにでもあります。他の飲料会社の比ではありません。どうやってそれをなしとげているのか?それをこのTEDのビデオで紹介しているので是非みて頂きたいです。

MelindaGates on how we can learn from Coca-Cola :
http://video.ted.com/talks/podcast/MelindaGates_2010X_480.mp4


このような役割をもっとクリエイターの力も注いで取り組んでいくことによって、改善することはたくさんあります。そして、そういった改善の先にある社会にこそ僕たちがお金を注ぎ、時間を注ぎ、創ってゆくべき未来があるのではないのでしょうか?

このブログの締めとして、下記の事を記載します。
僕を含め、今一度考えてみませんか?


あたらしいクリエーションの価値、可能性が
見えてくるかもしれません。

・どのように、社会に貢献しているのか?
・貢献したものが”結果”としてどのような影響を及ぼしているのか?
・実際に日々過ごしている中で、社会への貢献を意識できているか?

*1:ファースト・シングス・ファーストとは、1964年、商業主義が爆発的なスピードで進む時代の中に提唱された一つのムーブメント。ちなみにこんかいの宣言文は、2000年にまた改めて提唱された時の文章。