モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

原発とめるとか、経済回すとかの前の話

今日は震災から一ヶ月。

黙祷をもった後に、
大きな地震がありました。


いつ、僕らから命を奪うほどの
災害が降りかかってもおかしくないですね。





僕は今回の震災では、自分の命は救われたと思っています。

地震が外れたとか、東京は被害が少なくて、、、という感覚よりは、
救われたと思いました。


その後明らかになる、多大な被害、
広がる原子力から出る放射能汚染
国による情報規制、日本経済の暴落、
物資、支援などの欠落、


その中で、僕は命を救われた。。



だから今、自分の出来る範囲で動こうともがいていますが。。




そもそも社会人とは、社会の為に働く人なので、
今の社会の為に、最善の事を尽くす事を仕事としているわけです。

その代わりに報酬を得たり、
感謝していただいたりして
生きているわけです。

んじゃぁ、何が社会の為になっているのかという事ですが、
基本は「相手の立場になって考え、彼らが必要なものを提供すること。」だと思うのです。



僕の友人にはクリエイティブという業界に居る方が多いです。


クリエイティブ業界の方々はどんな仕事をしているかと言いますと、
クライアントが一般の人達に使っていただきたい物、お届けしたいものを、
「いいね!」と思ってもらう為に宣伝(伝える)アイデアを考える仕事なんですね。

で、そのアイデアを考えるとき、
「どうやったら、一般人が欲しいと思ってくれるのか。」
をトコトン考えるんですね。

年代、性別から、シチュエーションや、今までの時代の流れまで
あらゆる事をヒントとして、そのターゲットが何を欲しているのか、
相手の立場になって考えるんですよ。


これを、スパルタなところでは
100案も半日で考えたりするわけです。
徹夜で考えたり普通にします。

広告として落としこむ場合、媒体や、時期や、さらに色や、形、写真の風味、
イラストのタッチ、コピーの一語一句も考えていくわけですね。


これはクリエイティブの業界での例ですが、
基本的に商売やサービスをしている会社では
この核は変わらないと思います。

つまりみなさん、
日頃から相手の立場になって考え、そこに最善を尽くすことで、ご飯を食べ、日々の生活を送っています。



話はもどりますが、

僕らは社会人なので、社会が一刻を争う危機に面したとき、
たといそれが自分の身に降り掛かったことでなくても、
社会の為にいつもしているように、
相手の立場になって考え動いていくのが
“社会人”としてのあるべき姿だと思うのですね。




それが、日本の社会というのは、
“会社の為に働く”というスタンスで働いている気がして、
掘り下げてみると、上司に従うだけだったり、与えられた仕事をこなすだけであったり、
上司はその上司に従うだけであったり、、を重きにした、
本当に見据えているべき先にいる”人”を見ずに機械的に仕事をしている人が多いと思うのですよ。

なので、無駄なことをしていると思っても、
その無駄が自分の生活を養っている。
その無駄が自分が生きる為に必要だ。
その無駄を提供している会社も自分が生きる為に必要だ。

行き過ぎた事を言えば、
その無駄を提供している社会を保つ事が、
自分が生きる為に必要だ。


と思ってしまうわけです。


本来なら、会社が何が重要かを一番分かっていて、
その時の様々な状況に配慮して、
瞬時に必要なことを出来る体制になっているべきだと思うのですが、


日本のように、モノに溢れ、
生活にあくまでも「+α」の物事をお金を稼ぐ主軸に
置き過ぎた場合いざ何か起きたときに、
その「+α」に囚われて
本当に大切な事が出来ないような気がします。

会社もそれで経営していますから、
「+α」、、、ぶっちゃけていうと
「無駄」を手放せなくなっているのです。


特にクリエイティブな仕事をしていたり、
アーティスト、ミュージシャンをやっている友達が
多いので、わかる方も多いかとは思いますが、


本当に生活に必要なもの以外は、
危機に立たされた時、無くなります。崩壊します。


それは広告業界の人達も今すごいわかるかと思います。

それは、別に会社が悪いわけじゃないんですね、
時代が悪いわけでもないんですね、
誰が悪いわけでもないんです。

いらないことをやっていると、
無くなるのは”自然”なんですね。

緑の葉っぱが、赤く染まり、
やがて枯れて地面に落ちるのは、
温度のせいだ!!!季節のせいだ!じゃなくて
自然なんです。


だから、そういったもので成り立った社会というのは、
こういった国レベルの危機に直面すると、いまいち踏ん張れない。

踏ん張ったところで、踏ん張った人達も感じれない。

災害がなくても、自殺者3万人以上です。
自殺者3万人以上というのは自殺して無くなった方の事で、
自殺未遂や心に傷をおい、病んでいる方は
その何倍いるか想像つきますでしょうか?

そんな中で、やれ国を救うために!って言って、
今までと同じ暮らしを、仕事をしていても
正直だめだと思うんです。




僕が冒頭で少し言いましたが、
僕は救われたと思っています。


そう思って、日々の大地震が迫っているような
生活をしていると、普段からそこにあったんだけど
気づけなかった”命の儚さ、尊さ”が少し見えるようなきがしました。

つまり、僕にとってこれからの時間は
”残された時間”なんですね。


明日死ぬかも知れませんし、あと一年かもしれません。



ですが、それはもうハッキリと現実味を帯びて、
「この世での命は、いつ無くなるのかわからない。」と感じます。


なので、これから。
残った時間で何をするのか。


その心で、

今後の日々、
今後の日本、
今後の世界を想像し、

考えて、生きていく事。



それが、僕達が

生きる

という

という

という

ところの根本に立ち直って、
生きて行ける


残された、数少ない機会の一つ、

またはあなた、
または私にとって

最後の機会なのもしれない。



そう本当に思いました。