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モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

福島県南相馬市まで

経緯

動かないと!!!というエネルギーを持って飛び出したまんまだったので
多くの方にご迷惑をおかけした事、ごめんなさい。

20日にCNNの方でのヘルプを終えて、何かしっくりきていなくて、、

確かにいち早く現地に入り、世界中にこの状況を伝え、その事で世界中からのサポートに確かにつながったと思うのです。
そこは、自分で同行してみて初めて報道の本当の価値を体験できました。

その中で、自分がインタビューする人達やカメラを回す人達には何もしてあげられないという事がもどかしかったです。

興味本位で寄ってきて、一緒に話した被災地の方などは、
僕らのことを気遣って少ない食料をわけてくれようとしたりするのに
僕らは今のところ何もしてあげられない。。

自衛隊や消防隊、赤十字の皆さんを見ていて、その存在の意味の大きさに脱帽でした。。。


とはいえ、一回現地に行き、状況を知った上でこのまま普通の生活に戻るわけにはいかず。。

あまり残された時間はなかったのですが、ある時間で、物資を運べるところに運びたい。


そう思ったのが、キッカケでした。



準備

東京の方に帰ってきてから、埼玉スーパーアリーナの避難者におはなしを聞いたりして、
ずっと物資の確保や、燃料の確保など、色々検討しながら模索していたんですが、

最初は僕らがもっていた物資が少ないから団体にあずけて
彼らの活動に合わせて使ってもらったほうが良いと思っていました。

ですが、その後日本ユニバ震災対策チームと連絡が取れ、物資の提供とルートの確保を
手伝ってもらえることになったので急遽予定を変更。

山形の現地のドライバーさんで、一緒に仙台にCNNと一緒に同行してくれた方が
今回は無償で山田さんに協力いたしますよ!と言ってくれたので、
マイクロバスで東京にて合流し物資を積むことに。これもまた大感謝です!

最終的に必要になった物は、現地に行って戻ってくる為の“軽油”でした。

色々と友人と連絡を取り合い、試行錯誤したものの、予想以上に“無い”

何が無いって、東京から大阪までポリタンクがない。。
そして、軽油などの運搬に関する情報も曖昧なため、用意できても自分で集めたり運搬したりしたがらない。

かなり歯がゆい気持ちになっていたとき、
静岡、つくば、愛知でのポリタンクの確保が確認できて、
そして愛知では軽油も満タンにして行ける事に!!!

みなさんのご協力、本当に感謝です!




物資の確保〜南相馬市まで

時間は無いので、速攻でレンタカーを友達に手配してもらい、
その日、CNNを手伝いながら、一緒に愛知に行ってくれる人を、
運営資金をサポートしてくれる人を募る。

もう少しで、自分一人で行かなきゃいけなかったんだけど、
ギリギリでダンスクルー、D.O.Xのしんごくんと、
1neの撮影とかでお世話になっている進藤さんが一緒に行ってくれる事に!
本当にありがとう!

で、朝5時にレンタカーをピックアップして、
愛知まで、、、約3時間半!

愛知県大府市の共和石油さんに到着!
共和石油さんに問い合せてくれたのは、
小さい頃からの常連さんだった地元の大橋さん。

その大橋さんとは、友人をたどっていくと、
NZにいた頃に何回かお世話になったのぞみ先生とつながっていて、、
色々な縁に助けれました。。本当にありがとうございました!


せっかくなので、写真一緒に撮って、、出発!

その後、安全運転で4時間程時間をかけて東京に戻り、
そのまま江戸川区にある日本ユニバの物資が保管されている倉庫に。。

これだけで、もうあたりは真っ暗。夜でした。。


ドライバーさんとも連絡を取り、合流。
このマイクロバスで向かいました。


物資は次々と運ばれてきて、そして現地へ持って行かれます。
物資の種類や量はそこそこありました。

ユニバは、困窮している地域に物資を渡しに行くのがメインな為、
このぐらいの量から選んで積んで現地に向かうことが多いみたいです。


中はこのぐらいまで荷物を。。。ギリギリまでいれています!



この時点で22時くらい。
ドライバーさんは、昨日も一睡もせず仙台に物資を運んでいて、
その足で東京まで来ていたので体力の限界に。。

ですが、ユニバの本部は必ず打ち合わせをしたいとの事で、
なんとかその日中に行こうとしてたんですが、無理でした。
そして打ち合わせは翌日の朝に。

そして、このぎりぎりのタイミングで、ルームメイトのマサト
「ひろさん、俺もやっぱ行く。」と言ってきて急遽同行することに!

彼の勇気に感謝します。バイトの予定を急遽変更してついてきてくれました。まじbig up!

翌日の朝、打ち合わせが長引いたので、少々タイムロスがあったのですが無事出発。
そして、翌日の早朝に参加する事がきまったももさんと東京駅で合流。

ドライバーさんたちは、先に宇都宮まで走っていたので、
そこまで電車で合流。途中で、予期せぬ運休などでちょっとタイムロスしながらもなんとか。。



そこから、南相馬市まで携帯で連絡をとりながら進んでいきました。
高速には、タンクローリー、2トントラック、4トントラック、ハイエースなどの
物資を積んでいると思われる車両が沢山。

仙台に僕が行った時と違って、確実に高速に車両は増えていました。


そこから、南相馬市に。。

福島駅から北上して、相馬市にいってから南相馬市に下がるルートをとったのですが、
相馬市とその前の市をつなぐ山道あたりから、車の通りが激減。

見るのは消防車、救急車、自衛隊の車ばかりで、一般車両はほっとんどいませんでした。

そして、ところどころある道路の亀裂、凹凸。


更に進んでいって、相馬市から南相馬に走ること1時間ほどで、
南相馬の洪水の状況が見えました。


仙台で見たものと似た光景、同じ匂い。


仙台ほど被害のエリアは広くなかったですが、
奥地にいけばさらにひどいエリアもあったかもしれません。。

ただし、市役所の近くはそこまで被害がなく、田んぼ等のエリアになっていた低い場所に
船などが流れこんできていたようです。

この時点で既に日没。

当初、避難所、物資の倉庫で聞き込みをしてそこから困窮したエリアに運ぶ予定だったのですが、
夜遅くは犯罪が多くなっていること、避難者側も夜の訪問者には警戒していること、
そして自分たちの場所の安全など懸念する事項が増えた為に、
ドライバーさん達も今夜中には福島市内に戻ると言う方向に。。

なので、連絡を取っていた一番の支援物資の拠点である小川町体育館に物資を配給してきました。

状況としてはまたビデオ等を撮ってきたので、アップできるかもしれませんが、
次で、23日現在の南相馬市の状況を報告しておきます。

3月23日現在の南相馬市の状況

物資
  • 物資は結構揃っているが、これからは下着が足りなくなるだろうとの事。水やカップラーメン、大人用おむつなど種類も多くありました。
  • 被曝という眼に見えない災害なので、避難から戻ってきてる人達もいる。
  • 今は復興の為にも物資を集めている。今の状況では復興時の炊き出しとしては2日と持たないだろうとの事。
屋内避難している方々について
  • 基本的に動ける人達は、屋内避難の方々でも取りにきて頂いていたりしている。
  • 不自由な方、または屋内から何らかの理由で出れない人等、細かい屋内避難の方々の状況は把握できてない。
  • 22日から物資の配給に受けに来た屋内避難の方々のリストをつくりはじめ、更に状況を把握できる様に動いているとの事。
  • 避難所や県外に避難しない方々の多くは高齢者で、「地元だから。」「避難することで周りの方々に迷惑を掛けたくない。」などという理由で避難を拒否する方々もいるようです。
南相馬市の状況
  • 復興するために、被曝を気にせず戻ってきている方も居るという事。
  • 被曝の対策のために、外に出る人は専用のジャケット、帽子、手袋などちゃんと身につけていた。
  • 外に一日中出ている人などは、白い専用の防護服を着て作業している。
  • 23日に着いたときに、話した人の一人は津波の被害があったエリアから帰ってきたばかりだったが人は生存者、ご遺体含め確認できなかった。

これから南相馬に行く方々へ

  • 日にちは余裕を持っておくこと。情報収集や、被曝を懸念した活動時間も含め三日四日余裕を持っていたほうが動きやすいです。

そして物資などは、配ろうと思えばすぐ配れてしまいますから、一日は情報収集に専念して自衛隊や消防隊などと連携しどこで物資を配給したら一番必要な人達がもらえやすいか検討し、二日目から配給するなどちょっと落ち着いて“現地で”計画を練る時間が必要です。


と、僕らも物資は届ける事に精一杯で情報が不足している事で、
思うように動けなかったです。これから南相馬に行く方たちには、
この情報を参考にして頂き、さらにスムーズに困窮したエリアに運んで頂ければ幸いです。



そして、僕らが帰路の途中で急いでいたので理由などは聞けなかったのですが、
郡山駅にて、“いわき行き”のバスに乗っている方が大勢いらっしゃいました。。

荷物を更に取ってくるためなのか、または、本当に戻ろうとしているのか、、
何の目的なのかはわかりませんでしたが、未だ緊迫した状況の中どれだけの情報が
現地の人達に届いているのか不安でした。



今回、ご支援ご協力頂いた皆様、
本当にありがとうございました。

今一度お礼申し上げると共に、
被災者の方々の早い救出と救援、
復興ができますことをお祈り申し上げ、
引き続き自分が出来ることをやっていこうと思っております。

山田寛仁