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モンスターボール100個

インターネットと一緒にあそんで、かんがえる場所

キリスト教家庭に生まれた子供がキリスト教に感じる違和感。

神様をみつけに。

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今現在の、そのまんまの気持ち。

僕はキリスト教を信仰する家族の中に生まれた。
小学校から学校を土曜日に休むのは当たり前の事だった。

聖句を読み、教会で賛美歌を歌い、
聖書の教えを守る。

それは当たり前の事だった。

金曜日の日没から土曜の日没までは
安息日と呼ばれ、その間はテレビやお菓子、
ゲームや漫画など(主にテレビだが)の世俗的な習慣は禁じられ
神様と時を過ごすための時間として区別されていた。

中学校は1年間、
全寮制のキリスト教の学校に通った。

そこでももちろん、上記のような暮らしをしつつ、
学校の授業にも聖書の授業があり、
ゲームや漫画、お菓子なども禁止されており
(ゲームの攻略本はなぜかOK)
それらは違反物として見つかったら没収されていた。

寮の区域以外にでるのは禁止、
カップヌードルなど、
この学校が提供するもの以外を食べるのもNG。
(近所の八百屋から野菜買ってかじる位は良かったと思うけど)

そんな中、中学1年、2年、3年から
ひとりずつ計3名の部屋で共同生活という、
まぁ珍しい部類に入る学校で生活した。
(ここの話だけで相当ディープだから今日は割愛いたします...)

私はその後NZに渡り、
そこで日本人留学生のガーディアンをしている
日本人の伝道師の家族に出会い、自分もそこでの経験を通して、
神様っているんだなっておもい信じている。

でも、ぶっちゃけ最近よくわかんなくなってきた

いや、自分の中で神様がいるっていうのは思っているし、
聖書の教えも素晴らしいと思うし、
その中で出てくるイエス・キリストも素晴らしいと思う。

とりあえず自分が今日まで知ることのできた中では、
イエス・キリストが唯一自分が希望を置ける神様だと思う。

でもね、よくわからんのですよ。

キリスト教というやつが、
クリスチャンっていうやつが。

キリスト教クラブ

キリスト教はまるで会員制の学校ないの仲良しグループみたいだ。
みんな仲良さそうにしてるし、入ってみると仲良いし。

だけど、本当に彼らの一員になるためには、
会員にならなければいけないのだ。

イエス・キリストを自分の救い主として認める!
ということがクリスチャンになる条件なのだ。

そうでなければ、
似たような思想でも根本的に違う!


まぁ、確かに。


キリスト教イエス・キリストが自分たちの罪のために死んでくださった
ということを信じて初めて成立する存在なので、そうなんだが。

俺が違和感を感じた経験をシェアしますね。

1. うちの教会の一員になる?そうでないなら参加はできないよ。

これは都内の某教会で言われたこと。
都内で行ける教会を探していて、数回参加した後に言われた。
そして同時に他のクリスチャンの集まりには参加せず、
ここに来ると決めたらここだけにしてほしいとのこと。

もしここに決めないのであれば、
礼拝には出ていいけど、その前のみんなで聖書を読んで
話し合う時間には参加しないで欲しいとのこと。

僕はこれを言われて、今まで知り合った
他の仲の良いクリスチャンの友達や
NZで知り合ったクリスチャンの友達と
集まることもできなくなってしまうのが
嫌だったのでこの教会にはいかなくなった。

2. どこの教会員ですか?移籍しますかと所属を聞かれる

これは自分の家族が所属している教会や、
日本の保守的な教会だとよくあることらしい。
洗礼っていう儀式があるんだけど
(要は自分は神様を信じると決めた時にする儀式)
その、洗礼をした教会のメンバーになるらしい。

僕は中学生の時になんとなく
洗礼を一度受けたんだけど、数年後家族から
教会員の名簿を実家の教会に移さないか?と言われて
「?」が頭に100個くらい湧いた。

3. みんな兄弟姉妹。愛し合いましょう。でも本当の兄弟姉妹になるためには...。

教会に初めて来る人がいたり、
宣教の活動として友人を招いたり。
そういう時教会やそのクリスチャンの集まりはとっても暖かい。
愛に溢れてるな〜!って思う。

実際にその暖かさを体験して、
聖書や神様が伝えていることがコミュニティの中に
「生きて」いるのがわかって信じることを決める人も多い。

だけど、その暖かいコミュニティにも、
はっきりとは見えないけど、
確かにそこにある「ライン」がある。

要は
「最終的にはクリスチャンになってね。」
ってことなの。

そうじゃないと、
一員じゃないしね。って。

友人知人から、そんな扱いを受けて
ひどく悲しかったという話をたまに聞く。

信じないって決めたら
手のひら返される見たいな。

宗派内でのギャップin da house

僕はキリスト教の中でも保守的な宗派に属する家族の中に生まれたので、
そういう教会の常識を信じていたんだけど、
ニュージーランドに行ったらホームステイの教会がペンテコステ派という宗派で
いわゆる「spフャサsyがオピsgは素gはsがsがそいghさおgはs!」
って異言でしゃべって、予言したり、癒しの祈りをしたり、癒したり、
悪霊を追い出したりっていうなんかもぅハードコアなところだった。

保守的な教会にいた頃は、
日本人のじいさんばあさんが静かに座っていて、
オルガンなりピアノなりの演奏に合わせて賛美歌を歌い、
静かに祈り、牧師先生の説教を聞いて
「先生、ありがとうございました。」
と言って帰るくらいのもんだったので
あまりにも違いすぎて「怖い...。」って思った。

で、ホームステイの家族には何度も
「あなたは聖霊バプテスマを受けたの?」
「本当に真の意味で信じていて、神様に求めるなら聖霊バプテスマを受けるべきよ。」
と言われた。

ようはさっき話したような、
異言で喋ったり、
予言したり、
もっとスピリチャルになれってことらしい。


ちょっと自分でそれっぽく喋ってみて、
「これが...異言ってやつか...?」
とか、思ったこともあったけど、
結局異言は会得できませんでした。


で、その時はホームステイが通っていた教会にしか行ってなかったから
「これって本当は俺はクリスチャンじゃないってことなんだろうか。」
「自分の信仰が弱いんだろうか。。」
とか思って、
なんか自分を情けなく思っていた。


あ、あと
エロい雑誌を買って読んでたら
めっちゃくちゃ怒られた。


日本のキリスト教系の学校の時は
エロい雑誌みんな見てたし、
エロいのは...まぁ仕方ねぇな!みたいなのが
先生や教員の中の雰囲気としてあったから、
これは若気の至りだからいいのか!とか思ってたのに
全然そうじゃなくて衝撃を受けた。


しかもあまりちゃんとした説明を受けず、
「俺の家の屋根の下にいる間は、俺のルールに従え。」
って言われてまぁそうした。


で、ある時、違う日本人留学生向けの
クリスチャンのグループに参加したら
「いや、聖霊バプテスマが全てちゃうで?」みたいな感じで、
これまた全然違う雰囲気で、ハードコアでもないんだけど、
静かすぎるわけでもなくて
なんか型にはまってなくて良いなって感じで。


そこの共通認識としては、
あんまり聖霊バプテスマ!とか
「こうやらなきゃっ」て思わなくても
神様の教えることの本質を捉えて
それを大切にして生きていけば良いのでは
みたいな考えかたがなんとなく蔓延していて、
ようは大切なのはハートだ!みたいな。


だから異言とかスゲェ能力はないけど
他のところはせめてしっかりしようと思って
オナ禁してみたり、結婚するまで童貞を心に決めたりした。


考え方や、モラルに関して自分に厳しくなったのもここら辺だと思う。

宗教内の壁in da building

で、こういういろんな宗派の
教会に行って気づいたのが

みんな
「自分たちがいうても一番まともな道を歩んでるだろうな。」
って思ってるってこと。

そりゃ自分が選んで
信仰してるわけだから、
それでいいんだけど。

でも、その中に実は
「あの教会は...とか。」
「私たちは土曜日に行ってるから、実は一番聖書に忠実なんです!」
とか
「私たちは異言を話し、生きた信仰をなんちゃら!」
とかいう気持ちも混ざってて、
その節々が会話や
行動の中に出てきていたりする。

その...何が言いたいかというとね。

プロテスタントカトリック
クリスチャン&そうでない人
リベラル&コンサバ
土曜日&日曜日
立派な教会&集まりがすでに教会

とかの様々な違いがある中、
わざわざ壁ばかり作ってない?

壁をつくるコミュニケーションと壁を取り除くコミュニケーション

まぁ2極化しなくてもいいと思うけど、
最近はこんなことを思っています。

この世には壁をつくるコミュニケーションと
壁を取り除くコミュニケーションがあって、
そのどちらをしているか、たまに見失うなってるよねって。

聖書に書かれてるイエス・キリストって人物は、
何よりも当時の宗教家たちに対してめちゃ怒ってたんですよね。

律法(旧約聖書に書かれていた教え)ばかりにとらわれて、
実際に心には愛もなかった「名ばかり」の人たちに対して
ブチ切れて、彼は逆に周りの人たちが「え??なんでこんな罪人と?」
というような収税人やホームレスや売春婦に寄り添ったわけです。

これは「壁を取り除くコミュニケーション」だと思うんですよね。
イエス・キリストがやったことの本質って、
「壁を取り除くコミュニケーション」だと思うんですよ。

なので、そう思った時に、現実の、現代の、現状の宗教、
いわゆるクリスチャンなるものが
どう考えてもイエス・キリストが現代にいたら
まーた怒鳴り散らされるものでしかないような気がして
もう自分はその状態に関わりたくないなって。

結局人はそんなもんなんだからさ。

自分たちをキリスト者って呼ぶのやめようよっていうか...。
(クリスチャンって名前はChrist(キリスト) ian(ItalianとかKoreanとか〜人の後につける語尾)から成る言葉)

そうやって自分たちはクリスチャンだっていうこと自体、
壁をつくるコミュニケーションだし、それ自体求められてるのかね...。

それとも組織化するのに便利だったからそう付けたのかな。

結局、宗教からは逃げきれられない自分

いろいろ考えて、今こんな感じですけど、
どんなに宗教から走っても、結局自分には
「宗教」というシールが背中に貼り付けられてる感じがして。

We are what we run fromっていう言葉みたいに
逃げようとすると、それがさらに自分に襲ってくるみたいで。

フーーーーム。まとまらないけど!
こんな違和感を感じて過ごしていますよ!

音楽でいうとまさにこんな感じ
www.youtube.com

Blue & Exile - A Man

Pop telling me that, the Muslims won't make it<br> And the Muslims telling me my pop won't make it
― Blu (Ft. Exile) – A Man

Yet they both praise Him, night and day raise His Name<br> Until they day he came back to claim them
― Blu (Ft. Exile) – A Man

Is one gon' save them? And another take them? Doubt it
― Blu (Ft. Exile) – A Man

They telling me I shouldn't live without it
― Blu (Ft. Exile) – A Man

Belief, relief for the doubters, it keeps me clouded
― Blu (Ft. Exile) – A Man

Confused while I'm doing the knowledge, but my God said choose<br> I choose you, who do you choose?<br> I hope it ain't me, cause I'm just an MC
― Blu (Ft. Exile) – A Man

後、クリスチャンやーめたってなったら、自分のモラルも崩壊しそうで怖い。